自分って社会不適合者?
はてなブログを巡っていて、ADHD(発達障害)だという方が結構見受けられます。
発達障害とは
ADHD(注意欠陥・多動性障害)とは?症状の分類と年齢ごとの特徴 、診断方法や治療まとめ
おそらく自分もそうです。たぶん。
そんな記事を読んで、自分だけじゃないんだなとちょっと安心したりもして。
薬などを服用しながら戦っている方からすると「そんなのADHDじゃない!」と思われる人もいるかもしれません。
でも、子供の頃から「自分は何かおかしい」と違和感を感じながら生きてきました。
今はともかく、子供の頃は自分でもおかしいと思って気をつけていてもなぜかなかなか治らなかった。
そのおかしいと思う部分は大きく分けて4つ。
- 人の話が頭に入ってこない。
- 忘れ物が異様に多い。
- 人の顔・名前が覚えられない。
- 頭の中が整理できず、もしくは頭の中で話が飛躍しすぎて他人とのスムーズな会話が困難になる事がある
近年、「大人のADHD」というものが周知され始め、ネットでも診断できるようになっています。
広告等でも良く見かけるようになり、「あれ…?もしかして自分も…?」と気づいたのがここ数年のこと。
実際に医者の診断は受けたことはないけれど、数年前に受けてみたいくつかのネット診断ではやはりADHDの疑いが濃厚と…。
ADHDは「多動性」「不注意」「衝動性」「混合」と大きくわけられ、私の場合は自覚している限りでは「不注意」のみ該当すると思われます。
動き回ったり突然大声を出したりということは一切ありません。逆にすごく大人しいです。じっとしていろと言われたら、ずっとじっとしていられます。
が、とにかく忘れ物が多い。
もともと頭の出来がそんなによろしくなかった私は、姉と弟という真ん中っ子ののんびり気質もあり、親からは「ただの変わり者+頭悪い子」としてしか認識されていなかったように思う。
読めば読むほど昔の自分に当てはまる症状がたくさんw
・人の話が頭に入ってこない
人の話を聞いて、理解できないわけではないのです。
興味のないことは、全く頭に入ってこない。
授業での先生の話が頭に入ってこない。
特に勉強というものに興味を覚えず、むしろ強制されることにより「嫌い!!!」が加速し、小1にして既に勉強につまずいた(特に算数)。
算数に至っては、九九がなかなか覚えられず、母親から怒られながら拷問のように特訓されたのを覚えている。
(今はちゃんと覚えられています)
・忘れ物が多い
とにかく、授業に必要な教科書や楽器、体操着などを忘れることが多かった。
別のクラスの友達のところへ借りにいくのは日常茶飯事で、自分でもそんな状態が嫌だったので前日に持ち物をランドセルに入れるのだけれど、なぜかそれでも忘れる。
入れたつもりなのに学校に着くと「あれ?無い…」が多々。
そんな生徒だったので、教師には嫌われまくり。
担任の教師に嫌われ、悪態を吐かれたりしてますます勉強が嫌いに…。
勉強についても、授業を聞かず自分独自のやり方でやってしまうので「この子はちょっとおかしい」と親の前でも言われる始末。
親にもおそらく教師から色々連絡は行っていると思うのだけれど、持ち物の準備を一緒にやってくれる、とか後でチェックしてくれる、ということは一切なかったように記憶している。父親もいたけれど空気。
真ん中っ子というのは、だいたいにおいて放置される存在なのである。
出来が悪いとなるとなおさら(笑)。
・人の顔、名前が覚えられない
クラス替えなんてあった日には、クラスメイトを全部覚えるのに数ヶ月を要します。
他クラスの人なんてもちろん覚えられません。
学校外で会っても、気づかないかどっかで見たような…?くらいの認識です。
会社でも、人数が多い会社では覚えるのに苦労しました。
そして、一番初めに勤めた会社では、女性事務員の仕事として「お茶汲み」がありまして、皆さんそれぞれ「マイカップ」があり、数十名のマイカップとその所有者の名前と顔を一致させるのにとても苦労しました。
(今の時代にこんなのやらされたらセクハラ(?)になりますが、古い大手企業だったこともあり、「お茶汲みは女の仕事」という「常識」がまかり通っていた時代です。)
・頭の中が整理できず、他人とのスムーズな会話が困難
相手の話している内容に対して、自分の脳内でいろんなことが駆け巡ります。
そして、駆け巡った結論を相手に説明せずに話してしまうため、相手が「???」となってしまい、会話が途切れたり訳がわからないまま終了します。
(そして後にああ言えばよかったこう言うべきだったと自己嫌悪に陥る)
時には人の会話を遮って自分の話をし出してしまう。
学校でも会社でも、新しい環境になるたびに悩ましい点でした。
大人になってから
中学→高校→社会人 となっていくうちに、いつのまにかそう言った症状は緩和されて行きました。
何かあれば大人が何とかしてくれる家庭内・学校内という狭い世界から、自分が何とかしないといけない社会という広い世界に出て鍛えられたのでしょうか。
自分で何とかしないといけない場面にぶち当たるようになり、遅まきながら自分で色々考えるようになって「自分」の扱いを徐々に上手くできるようになっていったようです。
小中学では散々だった成績も、高校に入ってからはかなり頑張りました。
通っていた高校は偏差値はさほど高くない所ではありましたが、商業科だったため数学等一般教科はさほど力が入っていなかったのも幸いし、定期テストのたびに学年10位以内には入るようになりました。
一度良い成績を取ると、クラスメイトや先生からの視線や言葉が変わります。
それが快感になって勉強を頑張るようになりました(単純)。
ADHDは治る(緩和される)の?
話が脱線してしまいましたが、現在は小学生時ほどの忘れ物もなく、それなりに信用も得て仕事をいただける程度には社会生活を送れているし、生活に支障を感じることもなくなったので、自分はもともとそんなに重篤なものではなかったのでしょう。
今日この記事を書くにあたって数年ぶりにADHD診断をやってみましたら、ADHDの可能性は低いと出ました。
薬などは一切使用していないのですが、自然と(あるいは気をつけることで)治っていくADHDもあるということなのでしょうか。
そもそもが医師の正式な診断も受けていないので、自分はADHDではなくただのうっかりだったのかもしれない…。
しかし幼少期を振り返ると、「ただのうっかり」では済まされない子供だったなあと思うわけです。
そして、たらればを言ってしまえば、親がもう少し対処してくれていたらもっと早い段階で自分で自分の扱いを変えられたのではないのかなあとも考えてしまいます。
・緩和するためにしたこと
まず自分の特性を理解すること。
自分は情報整理能力が低く、先にやるべきことがあっても自分がやりたいことを優先してしまう特性があります。
なので、普段の仕事や家事をする時には
- 物事に期日などで括った優先順位をつける。
- その物事にウェイトをつける
- 作業の内容の段取りを大まかに考える(手を抜いてもいい所と力を入れないといけない所の見極めと洗い出し→作業時間の見積)
- 急ぎでなくともすぐに終わりそうな軽いものを先に終わらせる
- 軽いものを終わらせて精神的に安心してからウェイトの高いものを片付ける
- タスクが多い場合はメモを欠かさない(今はスマホアプリでリマインドできるからとっても便利!)
ということを心がけています。
家事でも仕事でも、タスクを「見える化」することが重要です。
自分の場合はとても単純で、「やるべきこと」が次々クリアになって行くことに快感を覚えるので、そこを刺激して行くのが大事です。
イレギュラーがあったら、慌てずタスクの練り直し。
会話がスムーズにいかないことについては、自分の話は極力控える、相手が話し終わったら話す、一度一呼吸置いて相手の言葉を頭の中で噛み砕いてみる、等気をつけています。
子供の頃よりは対人は良くなっている…はずです。
ただし、人の顔と名前を覚えるのは未だに困難w
もちろん自分の家族とか職場の人は覚えますけど、年に数回会うだけの人(遠い親戚なんか)とかは厳しい…。
こればかりはなかなか改善が難しいようです(・・;)
医師から診断されたわけではないので推測・憶測の域ですが、この歳でそんな診断されたからといって何が変わるわけでもないと思うので自分はこのまま生きていきます(笑)。
とりあえず自立はできているので、まあいいかな〜〜と。
でも、息苦しさを感じて毎日が辛いという方は、一度きちんと診断をしていただいて専門家から適切な治療を受けたりアドバイスを受けてみてください。